幼い頃の記憶 霧の早朝

まだ、実家は茅葺きで、朝霧に茅葺きの軒先に水滴が光るような朝だったと思います。

南に面した玄関から、父親の後を追いかけて道に出ました。道の向こう側には、道と並んで川が流れていて、右手に少し歩いて、その川に掛けられた細い橋を渡りました。

まっすぐに南を見ると、ずっと向こうまであるはずの水田は、真っ白な霧が立ち込めていて、本来鮮やかな緑色の稲穂が見えるはずですが、立ち込めた霧で、手前のほんの少しの稲穂が、やや群青っぽく、薄っすらと見えているだけで、その先は真っ白な霧に覆われていました。数百メートルも行けば薮や山がある狭い村なのですが、朝霧が作り出した真っ白な世界は、まるで大海原の上か、大平原の中に居る様な錯覚を感じさせてくれました。私が佇んでいた水田の畔から、右手方向には牛小屋と鶏の小屋が一つ屋根の下に収まった納屋があり、牛も鶏も、早朝のためか、おとなしくしていました。

雑草の柔らかいものを、手でむしって来ては、鳥小屋の金網に差し込んで鶏に与えるますと、鶏たちは、まだ食欲が湧かないのか、仕方なさそうにゆっくりと寄ってきて、私が与えた雑草を、首を傾げながら、ほんの少しづつ、ついばんで居ました。

普段なら、村の中の喧騒が聞こえてくる時間だったと思いますが、この日は、深い霧のためか、とても静かな朝でした。

こう言う朝霧の景色は、小学校を上がる頃には、もう見なくなっていたように思います。母の実家はさらに山間部でしたので、私が中学を上がる頃までは、朝霧の農村部の雰囲気を残していたと思います。しかし、あちこちに道路が出来て、山間部を切り開いて新興住宅地ができ、どんどん開けていくに連れ、こう言う景色に出会わなくなっていったように思います。社会人になってから、異業種の青年社会人交流で、女神湖付近のペンションに行って合宿した時、久しぶりに、その景色を見ることが出来てとても懐かしい感じがしました。

こう言う感覚を郷愁と言うのかもしれません。

郷愁を思い起こさせてくれるものに、ついて、私はある種の香りが脳裏に焼き付いています。松の匂いなのか、杉なのか、ケヤキなのか、未だに判らないのですが、幼少期には毎年、嗅ぐことが出来た香なのですが、中学生になった頃から後は、自宅付近では嗅ぐことがなくなりました。30歳台で大台ヶ原に入った時に、久しぶりに嗅ぐことが出来ました。いろいろな木に近づいて匂いを嗅いでみましたが、是だというものを見つけることが出来ませんでした。その後では、飛行機で移動をかけるときに、遥か上空に差し掛かったときにもその匂いを嗅ぐことが有りました。

私の脳裏に残っているその香りの正体については、もしかしたら、国内の森に起源を持つ香りではなくて、ひょっとすると偏西風で運ばれてくるような物なのだろうか?等と思うことも有ります。

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