昭和30年代後半から正和40年代に幼少期を過ごしました。
高度経済成長や農業の省力化や様々な薬品、様々な廃棄物が世の中に溢れ出してきた頃だったのでしょうか?。
水がきれいだった頃
子供の頃、村内に流れるせせらぎ(河川)には、きれいな水草や藻が生えていたと思います。
美しい水草がそよぐ流れを見ることが出来た時代。
一年を通して、川底に、イサザや、ゴリが、活発に生きていました。
夏を中心に、ハイや、おいかわや、鮎が遡上してきて、元気に流れを上ったり下ったり、穏やかな流れの所で、まどろんだりしていました。
幼児期に、川底のきれいな砂に半分埋もれている空き瓶を拾い上げ、きれいな砂と川の水で瓶の内部をきれいにすすぎ、ピカピカに鳴った瓶に川の水を汲み、それを飲んだ記憶が2度位有りますが、お腹を壊すこともなく現に過ごせた時期がたしかに有ったと思います。(今それをしたら、確実に体調を崩すと思いますが…^^;)
美しさが失われ始めた時代
中学性に生る頃には、河川から水草や藻が消えかけていました。
水草がそよぐ美しかった流れが、一変して汚れの揺らめく河川になり始めていました。
そして、一年を通して、川底に居た、イサザや、ゴリは、その数をめっきり減らしてゆきました。
夏を中心に姿を見せていた、ハイや、おいかわや、鮎は、姿を見なくなって行きました。
川の流れを自宅にも迂回させて、鯉を飼育したり、お茶碗を洗ったりしていた風景は消えてゆきました。
溝(どぶ)
世間で河川の溝(どぶ)化が進む中、村内の河川もその輝きを失ってゆきました。
暗渠
世の中は自動車が溢れてきて、自動車も大型化していく中で、細い道では使いにくくなり
河川は暗渠に姿を変え、道路幅を増やすことに貢献してゆきました。
ビオトープ
村内で、暗渠化が進行する少し前くらいから、世間ではビオトープと言う事が言われるようになってきました。
河川愛護活動
水質に無関心だった私は、「河川愛護活動」が、いつ頃始まったのか記憶が定かではありません。
気がつけば、年に1度か、2度、河川愛護活動に参加するように成っていました。草刈りやゴミ拾いの作業者として。
下水管の整備
村内の各戸に下水管が整備され、生活の中から出る汚水(炊事、洗濯、風呂、トイレ)は河川と確実に分離されました。
現在は、雨水や洗車の水等汚水以外の生活雑排水が河川に流れ込んでいると思います。
覚えていない
高校生の頃から村の外に通い始めた私は、
就職後他所の市町村や他府県に居る時間が長くなり、
実家近くの河川の様子を見る機会が減ったことも有りまして、
その頃の様子がどうだったのか?記憶にありません。
河川に魚の姿を見るようになってきました。
退職して実家の周りで生活する時間が増えました。
暗渠化された部分の中がどうなっているのか知るよしもありません。
暗渠化されていない部分については、僅かな数ですが、魚が泳ぐ姿がみられます。
遡上してくる魚たちのお食事
遡上してくる魚たちが、何を食べているのか?、食べていたのか?、私は知りません。
良い河川、良い水質
蒸留水の様な完璧な水(H2O)が良いとする河川も有ることでしょう。
魚の餌になる苔や藻や昆虫が繁殖できる適切な栄養素を適切な量、含んだ水を良しとする、河川も有ることでしょう。
循環式、ビオトープ的養殖と栽培
どのくらいの規模で行うか(地域型、農場型、屋内型)
気候に合わせて、どの動植物を組み合わせるか
が鍵に成るのかも知れませんねぇ。
鳥の糞が魚の餌や、魚が餌とする虫の餌になり
魚の糞が、野菜の肥料に成る
と言う考え方。
日本の気候では、冬季の温度が低すぎて、鳥を守る方策が鍵に成るのかも知れません。
野菜を魚の泳ぐ水槽に浮かべると、根毛を魚が齧ったり、食べたりするので、野菜は生育しません。
ITも足して
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