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科学的
化学 物理 数学 理論 論理
この世にあまた有る優れたサイト。
そして、どのサイトが優れていて、どのサイトは嘘を書いているのか?。
難しい問題です。
私には、わかりません。
例えば次の2つのサイトが有ったとします。
(1)統計に基づいて、明日は穏やかな日だと予報するサイト。
(2)一か八かで、明日は大荒れだと書く素人のサイト。
どちらを信じますか?。
仮に、大荒れになった日の翌日に、上記の2つのサイトを見たとしたら、あなたはどちらのサイトを信頼性の高いサイトだと評価しますか?。
例えば、双方のサイトについて、分析して、良くないポイントと良いポイントを、リストアップし、その度合いを見比べて、総合評価する等、きちんとした評価プロセスを遂行すると言う手法が有るかも知れません。
または、数年間、双方のサイトの動向を追跡して、どちらが信頼性が高いか、高いと感じられるかを長期間観察すると言う手法も有るかも知れません。
しかしながら、WEBサイトの評価以外にも、ITについては、なかなか一筋縄では行かないなあと思えてきます。
<言葉遊び>
- (A)それが発生するのは極めて稀です。
- (B)天文学的な数字になります。
- (C)この世に100%は無いのです。
例えば、上記の(C)を用いて、困ったシチュエーションを書いてみたいと思います。
まず、<その1>
(登場人物No1) 登場人物No2に向かって、「今から水を運びます。」と言う。
(登場人物No1) 「大丈夫、床は濡らさないように気をつけて水を運びますからご安心ください。」と言う。
(登場人物No2) 登場人物No1に、「いま持って来られた器だと、水は漏れるのではないですか?」と言う。
(登場人物No1)登場人物No2に、「この世に100%は無いのです。」と言う。
そして、先頭に1行追加してみます。
<その2>
(登場人物No1) ザルを持って、登場。
(登場人物No1) 登場人物No2に向かって、「今から水を運びます。」と言う。
(登場人物No1) 「大丈夫、床は濡らさないように気をつけて水を運びますからご安心ください。」と言う。
(登場人物No2) 登場人物No1に、「いま持って来られた器だと、水は漏れるのではないですか?」と言う。
(登場人物No1)登場人物No2に、「この世に100%は無いのです。」と言う。
どうでしょうか?。
「その1」と「その2」で印象はどういうふうに違ったでしょうか?。
「その1」で「この世に100%は…」と言う場合、「天文学的数字」や「稀には」と言う意味合いで受け取られたと思います。
「その2」での「この世に100%は…」については「点も学的数字」も「稀には」と言う言葉も起想されなかったのではないでしょうか?。
登場人物No1が、自分が持参した道具である「ざる」について、正しい知識を持っていなかったり、その特性を理解していない場合がありうるのです。
これを、読んでくださっている皆様は、すでに「ざる」について、正しい知識をお持ちだと思いますので、「その2」で登場人物No1が「この世に100%は無いのです。」と発言するところで、どうお感じになりましたか?。
もしも、登場人物No1が、「ざる」について、正確な知識を持っていながらも「この世に、100%はないのです。」と述べている場合、その意図は何だと思われますか?。
しかし、この世界は「ざる」の様に一目瞭然なものだけで出来ているのではなく、沢山のよくわからないもので出来ているのです。
そのような、どうしようもないこの世界を、正しい見方で見抜いていく技法に「科学的アプローチ」「学術的アプローチ」が有ると思うのですが。
どうも、それには、手間がかかるようです。
「コストダウン」、「省力化」、「時間節約」そういう目的でITを使う事が出来るケースも有ると思いますが、ITと言う巨大なソフトウェアの集合体について、その複雑な振る舞いに、想定外や予想外を含めたリスクはないのか?という事を調査分析するのはとても時間と手間がかかると思います。
その手間と時間に必要な人件費や設備の費用を誰が負担するか、自分や自分たちで負担できるか?、などを考る場合、「IT化=コストダウン」になるケース、「IT化=コストアップ」になるケースは抑えておきたいことだと思います。
「IT化=コストアップ」になるケースについて、それでもIT化が必要となる状況について、どのようなものが有るのか?。を考えておくのも大切だと思います。
と
ここまで書きましたが、
そもそも
「IT化」について、専門家やそういう業界にいる人と、そういう世界にいない人が、それぞれ、どういう概念を「IT化」と言う言葉に対して持って居られるか?。についても、抑えておかないといけないと思います。
「議論にならない」のは、それぞれが、「言葉に対応付けている概念」が異なるからだと思います。
−−−<閑話休題>−−−
ITは手法であり、方法ですから、それは、それぞれの「人」のために有るのだと思います。
それぞれの人が求めるものは、多様でもあり、似ていたりもすると思います。
一人の人の人生に於いて
どういう世界で、どういう生き方をしたいのか
どういう世界で、何をしたいのか
どういう人生を全うしたいのか
白雪姫の物語で、義理のお母さんが、毎朝見る鏡。
ITでその様な鏡が作られたとして、
鏡のように振る舞うモニターに、美化した自分が映し出されつつ、スピーカーからはオベンチャラが流れてくる。
そういう朝に、あなたは満足できるでしょうか?。
試験を受けて、及第点でもないのに、100%と採点してもらい、
本来その技量を身に着けていないのに、その技量を身に着けた人物として職を得る。
まずいですよね。
そんな世界で、病気になったら、技量のない人に診断してもらい、薬を処方してもらう。
仮想現実の中で、その当人の夢の世界の中だけなら、他人に迷惑はかかりませんが、リアルな現実社会でそういう事が起きると、きちんとした社会サービスは受けられなくなる。
一般的な人は、他人の評価を気にすることが多いと思います。
他人の声で、オベンチャラだけが流れてくるカセットテープを聞いて居て嬉しいでしょうか?。
正しい知識を持った人が、正しい評価をした上で、良い評価してくれたら、それは嬉しいのではないでしょうか。
正常で優秀な人がいる社会の方が、どうしようもない人しか居ない社会より、上質な暮らしが出来そうに思えます。
この世界には、人の手によって作られたものが沢山あります。
そう言った「物」を作るにために必要とされた「知識」「学力」、そして故障した時に修理したり、もう一度作り直す事ができる「知識」や「技量」が、その後ずっと必要になります。
人々の幸せのために構築された「物」は、その後ずっと故障時には修理する必要があり、修理されなくなると、機能を失ったり、朽ち果ててしまったりします。
ただ、機能を失ったり朽ち果てるだけなら、害は少ないのですが、故障に気づかなかったり、故障と判っていても、修理せずに使い続けられた場合、人に害をなすこともあるでしょう。
次世代を担う人材をずっと確保するためには、ずっと育成していかないといけないということになると思います。
「IT化」においては、「誰でも出来ること」と「それなりの才能が求められる分野」の両方が有ると思います。
「それなりの才能を必要とする。」場合、その人材が「よその国の人」である事は珍しくないようです。
国際情勢を見ると、国際交流がやりづらい状況というのもあります。
老いてなお勉強、老いてなお奮闘努力、そして、なにより、次世代を担う若者への期待。
ゆとりを持って、目一杯頑張らないと、未来はやばい。
のかも。