「酷い話」、ずーと以前に読んだSF小説「冷たい方程式」を思い出しました

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/冷たい方程式

ストーリー概略を知った上で、上記のURLのウィキペディアの中で書かれている、

「評論家ガリイ・ウェストファールは」

の中に、

『この前提が「エラーに対して…テム」による…が…酷い話だと述べている』

※完全引用を避けるために「…」で端折って掲載しています。わかりにくくなってしまって申し訳有りません。

先のURLのウィキペディアを見ていただけば、「粗悪品」と「粗悪品では無いもの」の分類について、ある種の光明を感じてもらえるかもしれないと思って、ここに書きました。

ここで言う粗悪品とは、作品中に登場する「小型宇宙船」に関する事です。

「粗悪品」と表現すべきなのか?、わかりませんので、少し言い換えるなら、

「考え抜かれた工業製品」として、多様な「人」の生きる社会の中で、エラーを誘引することなく、安全と利便性を提供できるものなのか。

その出来具合を判断するために。

簡単に言うなら、どのくらいのレベルなのか

「よくできました💮」「さらに努力が必要」「愚作」

さて、良い製品にならなかった原因を掘り下げ始めると、おおよそ、人間がやることだから、人間に原因がある事になってきたりします。

「配慮不足」「考慮不足」「短慮」「知識不足」「勉強不足」「コスト制約」

さらに、ヒューマンエラーだと、

「見落とし」「見間違い」「勘違い」「思い込み」「確認不足」「悪意」「怠惰・怠慢」

などが出てきます。

さて、消費者側からの、我儘言い放題みたいになってしまいました。

実際には、身の周りは危険が一杯、そこで暮らす当事者の方々の持つ「危険を回避するスキル」がある事が前提で、運用上の注意や配慮が不可欠。

利用者の能力に頼って初めて、安全が確保できる物が多いです。

あまりにその様なものが多いので、ついつい、ふつうに受け入れてしまいがちですが、良く良く、その製品が利用者に求める能力を知ると「それは無理やろう」と気付くものもあります。

誰もが消費者ですし、生産者側だったり、サービスの提供者側だったりします。

より多くの人々が、より安全で、より良い環境の中で、平和な暮らしが出来る様に。

誰もが、心を向けていく事って、多分大切なのでしょうね。


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