自殺幇助は罪に問われます。だから、他人の自殺を手助けしてはいけないのです。
と言うか…、
昨今のマンマシンインタフェースの向上を見るにつけ、思考読み取りなどの技術の進歩も、今後は否定出来なくなる予感もあります。
コンピュータにはログが付き物ですが、ログの改竄だってあるかもしれないでしょ。
だから、自殺幇助が罪に問われない時代が来たら、怖いです。
ある人物の死について、ある人物が深く関与したとして、「手助けしただけだから無罪です」と主張するかもしれない。
だが、なくなった人の思考ログに、その様子が記録されていると主張するかもしれない。
だけど、ログの改竄があれば、自殺した本人の意志と言うログ自体は、改竄された嘘かもしれないと考えるべきだし、意志を読み取るセンサーへの介入があったかもしれない。
本人の意図とは異なる内容がコンピュータに受け取られた結果、死に至るかもしれない。
思考支援ツールの、良い面と悪い面、悪い面は、絶望に導くとか、洗脳するとか。
何でもかんでも、IT化して、いいのですか?と言う問いは、絶望とか洗脳に導く事につながりますか?。
でも、膨大なプログラム群を分析する事に、時間と金をかけていては、競争に負ける。
とか、
足ふみをしていて一円も稼がずにいるより、何かして稼がないと生きてゆけない。
とか。
テクノロジーと魔法と手品は似ているのかもしれない。
常温で溶ける金属。(あまり世間では知られていない)
スプーンを「曲げる」「溶かす」「切断する」と言う行為は、常温で溶ける金属の存在を知る人にとっては、魔法でも無ければ手品でもない。
誰もその存在を知らない場合、「魔法」とか「超能力」になりえる。
一部知れ渡っている場合「手品」になり、
全員が知っている時代においては、「当たり前の出来事」になる。
ITにおいては、「それは不可能です」とか「それは天文学的確率でしか」とか「この世に100%はありません」とかの言葉を信じきっている人に付いては、または信じきっている人々で構成されるグループに置いては、「発生し得ない事柄」として取り扱われるはずです。
ITは、規模がでっかくなりましたので、私も含めて本当に「コンピュータと通信」について理解してやっているのでしょうかね。と言う疑問が。
「スタックマシン」と、「トランザクションマシン」について理解は済ませましたか?とかそういう唐突な質問にたいして、「理解済みです」と回答できる人は何人いるんだろう、「PASCALは再帰呼び出しを多用する場合、リソース管理をきちんとしないとダメだ」と言う人がいますが、その根拠は?と言う質問に回答するには、処理系毎の特性を理解していること言語仕様を理解していることが、挙動を推論する基礎になりますから、回答するには、その辺をマスターしていないときついのでしょう。たぶん。