とは

最近、細かい文字で書かれた、長い文章を見る事が有りました。

延々と、細かい文字が書いてあって、何度か気を失ったかも知れません。

それは、さておき。

日本語の「とは」ですが、何んと言えば良いんでしょうか。

日本語、難しいですね。と言う小ネタです。

端的に言いいますと、下記のような下りが有りました。

※下記の1から5の文章は、即席のでっち上げですので、事実とは異なる事柄を述べているかもしれませんので、ご了承くださいませ。

1.猫とは、ペットとして飼育されることが多い動物であり、日本だけでなく、世界でも多く飼われている。

2.犬とは、ペットとして飼育されることが多い動物であり、日本だけでなく、世界絵も多く飼われている。

3.汽車とは、蒸気機関を動力源としてレールの上を移動するもので、有名な車両にD51などがある。

4.ディーゼル機関車とは、ディーゼルエンジンでレールの上を移動するもので、電化が進んだ現在に置いても、ファンは多い。

5.レールの上を移動する汽車とは別に路上を移動する蒸気機関の乗り物も存在した時代があり、現在でも稼働する車体が大切に保管されている。

さて、おわかり戴けたと思いますが。

1から4で使われる「とは」と、5の「とは」は、若干使い方が異なるのを、もう皆様は、おわかりだと思います。

例として書きました1から5の文章は、ひとつひとつの文章が短いので、分かりやすかったと思います。

しかし、今回私が読む必要が有った文章につきましては、ひとつの文章に対して、何箇所も注釈が挿入されていて、やたらに長い文章に変貌したものでした。

見ているだけで眠くなるような、延々続く長い文章として書かれているコンテンツの中に、5番の使い方がされていて、読解作業中に不意に思考が足をくじいた様な感じになりました。

目で文字を追い、脳内で構図を組み立てる途中で、足をくじいたかのごとく、脳内で構築中のイメージが砕ける感覚が有りました。

言葉って、面白いですね。


「文章表現における曖昧さの除去」を目指して、単語の定義について明確化するために文章内に挿入された解説文が多くなり、更に複雑な解説が必要な処では、どこに解説を別記してあるかを明記するなどした結果、主語述語修飾語の位置関係が不明確になって行き、サラッと目を通したくらいでは、趣旨をつかむことができなくなった文章。私には、その様に思えました。

単純に私の脳みその処理能力が低いだけなのかも知れませんけど。

今日は、そう言う文章に出会いました。

かつて多くのプログラマーが、構造化プログラム言語で記述されたコードを理解するために行った様なアプローチを、その文章に対して行い、そこに記述された事柄の真実の姿をつかむ努力が必要なのかも。

人類の中には、その様々なアプローチをするのに関して、「ツール無しでは成し得ない人」や、「ツールなど使わなくても、やってのける人」がいると思います。(算盤塾で、小学生の時に受けた衝撃。音がしない。とか)

時に、他人が天才に思えてきます。

ミスタースポックのキャラクター設定に思いを馳せたりして。

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