エイリアン インタビューと言うSF小説の紹介動画らしいのです。
ならば、という事で、「エイリアン インタビュー」でも検索してみました。
本日は、この動画を見たので、その事を記録する意味で、この投稿をしていますが、この動画で紹介されたSF小説を信じるつもりはありません。
紹介動画の中で、「永遠の魂」や「記憶」などの言葉が語られるのですが、…。
悩ましい所です。
今日も私は、六羽のうずらさんたちの世話をしました。
同じように接していても、懐いてくれた個体や、恐がる個体や、つついて来る個体など、様々です。
人生や、一生を、どのように解釈して生きて行くのかは、人それぞれなのだろうと思います。
一言、言うとしますなら、「人は死ぬまでは生きている」かな。
多分「魂」の定義や解釈は、人それぞれで、異なるのでは無いかと思います。
ビデオテープは、記憶なのか?、記録なのか?
半導体メモリーが行うのは、
記憶なのか?
記録なのか?
光学メモリーが行うのは
記憶なのか?
記録なのか?
お師匠様の教えを、
忠実に学び、
また次世代を育てる
それは魂を受け継ぐ行為と言えるのだろうか?
ミームとはで検索してみました。
文化はソフトウェアに似ていて
見たり習ったりする事で
受け継ぐ事が可能ですものね。
天才的な絵の才能を持っている人がいますが、それとは別に、漫画やコミックに接する事が多い子供は、漫画やコミックの影響を少なからず受けていて、大勢の子供たちの中には、弟子についたわけでも無いのに、うまく書く子供がいたりしますものね。
また、特にこの才能は人種や国籍に縛られないように思えます。
人間をハードウェアに見立てて、文化やミームをソフトウェア的に見立てると、人間と文化やミームを切り離して考える事が可能になるのですよね。
文化は、人種や国籍に捉われる事なく、渡り歩く事が可能で、発展したり衰退したりする。
人間は都合の良い好きな文化を使って生きるし、または文化にとらわれて死んだり殺されたりもする。
人間の「意識」「自我」「人格」「理性」
と「たましい」を考えるときに、「たましい」には、文化的な意味の「たましい」と、もう一つ、生まれてくる前から存在していた「たましい」が、概念としてはあるようなのですが、日本語で漢字で書くときに、
魂:たましい
霊:たましい
と使い分けているようで、
その定義を厳密に使い分けている人と、なーんとなく雰囲気で理解している人とか、様々なんじゃ無いかと勝手に思っています。
たとえ話として、
電子決済アプリなどは、
インストールのためにダウンロードした時は
その時点の最新のダンロードファイルを
どの人も同じ物をダウンロードして、インストールされると思います。
インストール後、又はその途中で行われる
初期設定で、
個人を識別するために必要な、識別コードや環境設定がなされる事で、利用される方の決済のみを行うようになると思います。
この場合、
アプリが「人間の肉体」で、識別コードが「たましい」に例える事ができそうに思えまして、便利な使い方や賢い使い方は文化やミームに例える事ができないでしょうか?。
理解や解釈の曖昧さや不揃いなとらえかたや考え方の違いは、生き方の違いや人生というものの捉え方の違いを生じさせるのかも知れません。
また、皆んなが間違った考え方に収束してしまうのを防ぐようにも働いているのかも知れないと思ったりもしました。
あっ!、
そうだ、
今日、もう一つ見た動画が、ありました。
「見たと言う事だけです、…。」
さて、
そして、翌早朝(深夜)に見たのは
次の動画でした。