今日、これを記述するきっかけとなりましたのは
「他国や西欧の文化を、ありがたがる風潮が出てきていないだろうか??」と言う書き込みを見たからです。
「ありがたがる」かどうかは別にしまして、
よその文化や言語に明るい事は身を助ける事があると思いますので、下記の駄文を書きました。
——-〈以外駄文です〉——-
それぞれの、自分の所属する国や地域の言語や言い回しや、例え話や、略語や隠語などをご存知だと思います。
それぞれの、所属する文化圏について知る事は大切な事です。
さて、そんな中
現代ではシステムが記述されたスクラッチや仕様書やプログラムに散りばめられた名称やコメントには、そこに埋め込まれたアルゴリズムや、概念を文字で文章で記述されています。
プログラムコードそれ自体で表現されています。
記述した人や人達の文化的背景や、言語的特性がそこには含まれています。
これらの業務に携わる人達は、世界中の言語圏、世界中の文化圏の人達です。
その人たちの背景となる文化や言語に精通する事は、システムを深く理解するのに役立ち、誤解してしまう危険性を下げるのに役立つと思います。
と言う事で
プログラムを読むにしても
契約書を読むにしても
他を知らない事は
リスクに通じるのではないでしょうか?。
と言う問いかけの言葉で
今日は締めくくらせていただきます。