テクノロジーをどう言う方向に使うか、理性と欲望の境界線を意識させられる部分がある様なのですが・・・。多分、「やって見ないとわからない」的な実験的な要素は、存在していて、経済原則やテクノロジーの淘汰等で、方向性を得て行くのかと思ったりするのですが、どうなるのでしょう。
技術、テクノロジー、プログラム、その先の一つにウィルスが有り、化学の先に医療や麻薬があり、この先に訪れる何かを、現時点で予見出来たりするのでしょうか。
ロボの未来。
若年層は観ない方が良いのか、逆に彼らこそ真っ只中に生きる世代だから見て置くべきなのか?。
ITが、革命的な変革を与える対象は、国家体制、国家の枠組み、宗教観、経済システム、思想信条、価値観等を超えて、人間性の根源的な部分にも及んで行くのでしょう。
社会システムが、ITに融合して行く現代。と言う時代を私達はいま体験して居るのですもんね。
私達は全員が、時代の証言者、ですもんね。
等と、大げさな書き方を、してしまいました。
何故かと、言いますと、セクサロイドが「不気味の境界線を越えた・・・。」を見たからですが、過去を振り返ると、こう言った事例は結構沢山有りました。
浮世絵➡︎春画
VTR➡︎○ロビデオ
電話➡︎○レクラ
ネット➡︎○ロサイト
こう言った、「○ロ系」方向の技術の応用は、振り返ると、ある種のテクノロジーの普及の一躍を担ったと、言えなくはないものの、時間の経過と共に、良識派により排除され、社会の片隅に配置されると言う流れが見られる様に思います。
なんだ、テクノロジーと人間性の根源的な部分の関わりって昔からあったのですね。
さて
時代的背景として、ITやAIが社会システの運営に関わり始めていますが、良識派が排除されるなんて事は無いですよね。
ロボット➡︎○クサロイド
どうなるのでしょう。